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ごあいさつ
浄土真宗では、お聴聞ということを大切にいたします。お聴聞とは、阿弥陀様のお話を聞くことです。南無阿弥陀仏というのは、どういうことなのか、南無阿弥陀仏を口にし、聞くと、どうして救われるのか。救われるということはどういうことか。そうしたことを聞くことを、お聴聞と言います。
教應寺におきましてもお聴聞を大切にし、皆様と共々に阿弥陀様のみ教えを学ばせて頂いております。どなたでも自由にお参りできますので、どうぞお気軽にご参加ください。法事・葬儀などのお悩みごとも気軽にご相談ください。 合掌
教應寺の歴史
創建は弘治2年(1556)、開基は釋西雲。
当初、北賀山尊城寺と号しましたが、寛永17年(1640)に淨栄山教應寺(きょうおうじ)と寺号を改めました。

毛利氏との繋がり
寛永5年(1628)時宗の地より旧山陽道沿いに移るようにとの藩主の命により、現在の地に移りました。
その折に毛利家より用材として松欅50本さらに、追加で松欅30本、松15荷、竹15〆を拝領しております。山陽道筋にある為、歴代藩主等のお立ち寄りがしばしばあり、毎年正月三が日には、藩邸に出向いて年賀のご挨拶申し上げるのが恒例となっていたようで す。そうしたご縁もあり、初代藩主の毛利就隆(なりたか)公の位牌をご安置させて頂いております。

歴史とともに
その後、戦時中に本堂・庫裏とも改修されておりますが、古材を多用し、寛永5年時のものも多く使用されておりますので一部には徳山毛利家の家紋が残されているなど、その当時の面影をしのぶことが出来ます。
旧本堂の遺構の彫刻は西の左甚五郎といわれた岩瀬長五郎の2代目のものと推定されるものが残されています。
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